ミクロコスモス頒暦所

シグナル・シナバー

 彼はつくづくあかの似合うひとだな、と思う。吹き抜ける風に乗ってくる楓の葉、おそらく魔除けで入れている眦の目弾、羽織に所々入っている飾り、あとは……飲月君の姿になったときの右耳裏にある髪筋もそうだ。
 アーカイブで見たことがあるのだが、たんというのはもともと鉱物の名前で、砕いて砂にしたものが顔料や薬として重宝されているという。その鮮やかで深みのある色が人々の心を惹きつけてやまず、なんでも〝龍の血液〟に喩えられるのだとか。でも、龍の血液って赤いんだろうか。これについては、あまり考えすぎない方がいいかもしれない。
 宇宙的な常識だと、赤は見る側に警告を促す色だ。生物の神経を刺激しやすい色だから、という理由だそうだが、それこそ人間の血液の色なのだし、見たら興奮するというのも分かる気がする。しかしながら、彼の纏うあかは、むしろ、自分にとって引き寄せられるような魅力を放っている。魔性と表現すると失礼になるだろうが、まあそんなところである。
「――大丈夫か?」
 背後から声を掛けられて、はっと振り返った。思索に耽っていると、まるで模擬宇宙の捕獲作戦で集められたプーマンの如く頭の中を駆け巡る閃きたちに、つい気をとられてしまう。
「……あ」
「半醒半睡といった感じだが」
 そう言って部屋の隅からこちらを捉える玉石藍が、灯りのように瞬いた。
「ここは居心地がいいから」
 と、言い訳のように述べてみたところ、彼はふっと吐息を漏らしながら、苦い笑みを口角に乗せてみせる。窓が無い部屋だから、いや窓があっても陽光が射さないのだろうが……とにかく人工照明の光と影によっていささか蒼白く見えたけれど、紛うこと無くその花唇は、向こう側に血潮が流れていると分かるあかだった。
「そうか」
 短く返事をして、彼は再び手元の書物に視線を戻す。
 待てよ――もう一度、もう一度、辿ってみないか。そう思い立った刹那、泥のように噴き出す直観が、今し方の跡を余すこと無く濁していく。
 宇宙的な常識だと、赤は見る側に警告を促す色だ(警告? これは警告なのか?)。生物の神経を刺激しやすい色だから、という理由だそうだが(そうか、刺激だ)、それこそ人間の血液の色なのだし、見たら興奮するというのも分かる気がする(自分は今、昂りを引きずり出されている!)。しかしながら――いや、これは逆接ではなく、順接であるべきだ。したがって、彼の纏うあかは、むしろではなく当然、自分にとって引き寄せられるような魅力を放っている。
 そんな自覚に取り憑かれたような心地で立ち上がり、覚束ないけれど、しかし定まった目的を持って、揺れる光の上をふらふらと歩いた。部屋にひとつしかない椅子を明け渡し、枕元で頁を繰り続ける彼との距離を詰めていく。顔すら寄せられるほどに迫ったところで、ぱたんという音が響いた。
「気付いてた癖に」
「……今の振る舞いの始終を眺めているのは、決まりが悪い」
 そう言いながら壁際に本を積み置いた彼がこちらへ向き直った瞬間に、肩を掴んで唇を重ねる。抵抗はされなかった。もとより、そのような隙を与えるつもりなど無かったが。
 そのまま奥へ割り入ってもよかったが、今、この衝動は、目の前の冴えたあかに向けられていた。だからその代わり、口を緩く開かせてはもったいぶるように甘噛みを繰り返し、深層の欲望が閉じ込められた場所へ忍び込んで、少しずつ理性を侵蝕していく。
 右の目を薄く開いて顔色を窺うと、長く伸びた睫の間から、その瞳が渇きを訴えているのが見て取れた。こちらが見ていることに気付いたのか、彼は恥ずかしそうに、ぎゅ、と目を閉じる。細くすらりと引かれた目弾が微かに震えるのを見た瞬間、痺れるような感覚が自身の脳を貫き、耳の先まで生々しい熱が籠もっていくのを感じた。
 例えば星槎の赤信号は「止まれ」を意味するけれど、彼の纏うあかは、此方の本能に「進め」と囁き続けている。それに抗うことなど、できるはずが無い。

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