ミクロコスモス頒暦所

ゾーン・ポリティコン

 先日、アベンチュリンにカードマジックを見せてもらった。
「シンプルに行こう。使うのはエースだけだ」
 そう言って、彼は四枚のカードをマットに並べる。スペード、クラブ、ダイヤ、ハート。それらを全て裏返し、ひとまとめにして左手で掬い取った。
「君はそれぞれのカードに描かれているマークが何を意味するか知っているかい?」
 四枚のうち、一番上にあるカードを表にめくる。そこには赤いダイヤがひとつ。
「まずは、ダイヤ」
「上司と同じ名前ダイヤモンドだな、意味は……〝宝石〟とかでいいのか?」
「そうだね、しかも最も貴い宝石だ」
 彼はそうしてダイヤのエースを裏返し、俺から見て右側に置いた。手元に残ったカードは残り三枚。もう一枚表にめくったカードは、再び赤いマークだった。
「次はハートだ」
「ハート……心臓とか、心とか」
 自分にそういったものがあるのかどうかは定かではないが、とりあえず、知識としては知っているものだ。
「正解だよ。まあ、これぐらいは常識だね」
 アベンチュリンはそう言いながらハートのエースを裏返し、同じく裏返しになっているダイヤのエースの左側に置いた。
「さて、ここでひとつ質問してもいいかな。もちろん、難問じゃないよ。君は恋人に求めるものとして、宝石と心――もっと分かりやすく言い換えよう、金と愛なら、どっちを選びたい?」
 金か、愛か。唐突にそう尋ねられて、俺は黙り込んでしまった。これはどちらを選ぶとかそういう話なのか? だって、恋人と仲睦まじく暮らす上で、お金が無いとそもそもまともな生活ができないし、かといってふたりの間に愛情が無いならそれはもはや恋人ではない。
「悩みすぎじゃないかい、マイフレンド? そんなに優柔不断だと、どっちも失ってしまうよ」
 延々と考え倦ねている様子を見ていたアベンチュリンは、しばらくしてからくすりと笑って、俺の目の前に置かれた二枚のカードを表にめくる。ダイヤとハートのエースだったはずのそれらには、なぜか黒いマークが描かれていた。これはスペードにクラブでは? どういうことだ?
「ん……?」
「ほらね」
 彼が手元に持っていた二枚のカードをこちらに向けてみせる。ダイヤとハートだ! いつの間に?
「嘘だろ!?」
「驚いてくれて何よりだよ――」
 まあ、そんなところだ。
 カードマジックだけではなく、アベンチュリンはコインの扱いも上手だ。ホテル・レバリーで見せられた瞬間移動はともかくとして(おそらくあれは何かのトリックがあるのだろうから話してくれないだろう)、指先の上でくるくる転がすやつはコインロールという名前の〝技術〟で、練習すれば誰でもできるようになると教えてもらった。
「あいつは魔法の手の持ち主だった……」
「そうか」
 ――という話を、いま、丹恒にしていたのである。
「よく考えたら、似たような人が沢山いるかもしれない。ルアン・メェイは刺繍や阮咸ルアンシェンが上手だし、桂乃芬の銃弾掴みも凄まじいし、銀狼はもう何をやっているのか分からないし」
 挙げ始めたらキリが無い。これまで出会ってきた人々は、皆が自分なりに何かしらの技芸を持っていた。中には「戦うことしかできない」なんて謙遜する人も(目の前の丹恒含めて)いたけれど、戦い方だってそれぞれで、どれをとっても俺が簡単に真似できるようなものではないのである。
「そうだな……手というのは技術と深く結びついている。だから、人が人たり得る、そしてその人がどんな者であるのかを知るうえで重要な要素のひとつだろう」
「さすが丹恒先生、賢い」
「世間一般的な見解だ」
 ――なるほどね。
 何を以て人が人であるとみなすのかを語るのは難しい。アベンチュリンが持っていたハートのエースをぼんやりと思い出す。どうやら心臓を持っていてそれが動いていればいいということでもないようで、生きたいという意思や他者と何かを共有したいという欲求、そしてその手足で何を成すのかというところまで考えるようなものらしい。それはそうだよな。オムニックだって同じだろう。しかしながら、自分はそれよりも更に特殊な境遇であるという自覚は持っていて、「この身体は確かに有機物で構成されているはずなのに」なんて思ってしまうことだってある。
 そんな造り物のいのちでも人間であることを認めてくれるというのならば、そしてそれを認めてくれるのが丹恒であるのならば、こんなに嬉しいことは無いのかもしれない。
「ところでアベンチュリンに同じ事を聞かれたんだけどさ」
「なんだ」
「丹恒が恋人に求めるなら、お金と愛情、どっちにする?」
「求めて得られる富や愛に価値は無いだろう。どちらも他者との信頼関係を築いた末に、自ずと満たされるべきものだと俺は思うが」
「……このカタブツ」

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