ラブロマンティック・セミオティクス
「留守番組へのプレゼントだ」
そんなメッセージと共に贈られたピノコニーの特産品、百味レインボードリームカラフルキャンディ――ひとつとして同じ味は存在しないという、少々変わった趣向の飴だ。
何粒か食べてみたのが、フルーツフレーバーのものは(ケミカルな甘さだったが)まあ良いとして、キャンディとして相応しくないほど辛いものや、そもそも何を模したのかよく分からない味のものもある。そんな複雑怪奇な仕様では美味しいか不味いかの区別も何もあったものではなく、味の具合を尋ねてきた贈答者本人には「自分には複雑すぎる」と返答した。とはいえ、食べてみるまで味が分からないという試み自体は面白くて気に入ったので、その感情は手紙にしたためて、こっそりと送ったのであった。
そんな自分がここ最近行っているのは、毎日、その日にまつわる資料を探して整理することだ。今日は三月十四日。アーカイブを整理しながら、ふと、とある記述に行き当たる。
ちょうど一ヶ月前は、親愛の意味を込めてチョコレートを贈る風習についての情報を発掘し、親友だから、という理由で穹とチョコレートを交換してみた。おそらくそれに関連するものだと推測されるが、どうやら今日は、そのチョコレートに対する返礼の品を贈る風習が存在する日であるようだ。
机の端、瓶詰めになった色とりどりの百味キャンディたちを視界に捉える。彼は、この風習を知っているだろうか。
記述をさらに読み進めると、なんと贈る品には意味……というか、相手へのメッセージが込められているという。例えば、キャラメルは「一緒に居ると安心する」とか、マドレーヌは「特別な関係を築きたい」とか。誰が考え流布したのか定かではないが、そういう事まで考えながら品を選ぶのは些か骨が折れるのではないか、という感想を抱いた。
贈る品と意味の対応表の中には、飴も含まれている。その意味は「あなたのことが好きです」。その硬さから、永く固い絆の象徴とされるそうで、一般的に本命の相手にしか贈らないそうだ。
もういちど、机の端、瓶詰めになった色とりどりの百味キャンディたちを視界に捉える。彼は、この風習を知っているだろうか、と先程考えた。もし風習の存在だけでなくこのメッセージのことまで知っていたとしたら? 考えれば考えるほど、勝手に居たたまれなくなっていった。
しばらくして気分が落ち着いたところで、では自分も何か贈るのがよいのではないだろうか、と考える。そうだ、金平糖はどうだろうか。飴を永く固い絆に見立てるのであれば、金平糖も似たようなものだろう。あなたのことが好きです、とまでは行かずとも(むしろ行かなくて良い)、少なくとも悪い意味にはならないはずだ。賞味期限も十分にあるので、穹がピノコニーから帰ってくるまで保存が利くのも有難い――。
(さて、「チョコレートに対するお礼」と称して金平糖を受け取った穹は、一体どんな顔をするのだろうか?)