ミクロコスモス頒暦所

割り切れない想い

 ヤリーロ-VI、ベロブルグ。行政区で一際目立つ店舗のひとつが〝ソルスティシャル〟である。
「ヴェスカの花屋へようこそ!」
 硝子張りの玄関の先、色とりどりの花が咲き誇るこの店には、今日も多くの市民が花を求めてやって来る。恋人に、母親に、取引先に。
 とある日の、太陽が南の空を通り過ぎようかという頃合い。ここにひっそりと訪れたのは、冬の城には似つかわしくない、異国の出で立ちをした黒髪の青年だった――。
「こんにちは。あっ、あなたは……」
 開拓者の方ですね、店主はそう言葉を継いだ。
 それを聞いた青年は静かに頷く。そして一言、「そうだ」と、答えた。
「穹さんは時折お見えになりますが、あなたがいらっしゃるのは初めてですね」
「穹が? そうか。俺が言うのも変な話だが、世話になっている」
 見た目に違わず、律儀で真面目なひとだ。ヴェスカはそのように思った。さて、雑談は程々にして、彼がここに来た目的を聞かなければ。店主はにこやかに微笑む。
「とんでもないことでございます。それで、本日は花をお求めに?」
「ああ。ただ、その……贈り物を選びたいのだが、俺は他のふたりと違って世情に疎いところがある。だから、あなたの助言があるとありがたい……」
 青年はそう言って、やや気まずそうに目線を外した。
 その悩ましい表情を見たヴェスカは、ひとつの結論を導く。彼女がいままで数多く見てきたものは、なにも花だけではないのである。
「贈り物というのは、恋人に、ですか?」
「……かもしれない」
 恋人か否かという質問に「かもしれない」とは、一体どういうことだろうか。不思議に思ったヴェスカが「どんな方でしょう」と問いかけると、青年は些少の逡巡を経た後、このように説明した――「彼は自分のことをとてもよく理解してくれる大切な人で、およそ一ヶ月前に愛情の証としてチョコレートを贈ってくれた。だからそのお礼の品として、今回、花を贈りたい」――と。
 ふたりの問答は続く。
「失礼な質問だったら、ごめんなさい。あなたは、その方のことを恋人であるとは思っていないのですか?」
「上手く説明するのが難しい。俺は親友だと認識しているのだが、世間一般の感覚では、恋人関係と形容する方が適切であるように思える」
「なるほど……」
 人間関係というものはなんとも難しく、時折このように割り切れない一面を見せる。これも、ヴェスカが花屋としての経験から学んだことのひとつだ。
 彼女はテーブルに置かれた一冊のアルバムを手に取り、最初の頁を青年に見せた。絢爛で高貴なオーラを放つ花の写真が、見開きに整然と並んでいる。
「もしかしたらご存知かもしれませんが、一般的に恋人へ贈る花としてよく選ばれるのが、『永久不滅の愛』という花言葉で知られる、こちらの毬牡丹という花です。しかしながら――」
 頁をめくりながらヴェスカは語る。
「私の見立てでは、ああいった甘美でロマンチックなものではなく、もっと飾らない趣を備えたようなものがお似合いではないかと思います」
「例えば、どんな花があるだろうか」
 青年がそう問いかけると、彼女は中ほどの頁にある、一枚の写真を指し示した。そこにあったのは、素朴でありつつも精彩を放つ、可憐な花で。
「この花は七彩虹といいます。どんな方にでも贈れるような身近な野花で、花言葉は『日常の美しさ』が有名ですね。いかがでしょうか?」
「そうか、ならば――」

「おかえり」
 資料室に帰還した丹恒を出迎えたのは、布団に寝転がってゲームに勤しむ穹だった。
「ここは遊ぶ場所ではないと何度言ったら分かるんだ」
「ごめんって。丹恒の顔が見たかったから、ここで待ってたんだ」
 全く、口の上手い奴だ――溜息交じりに呟いて、丹恒は椅子に腰掛けた。右手に持った茶色の包みを机上に置く。かさ、という音に、穹が反応した。
「買い物? 珍しいな」
「ああ……確かに、そうだな」
 丹恒は目を合わせることなく答えた。そうして、少々気まずそうに包みを開けて中身を手に取り、振り返る。
「穹」
「ん?」
「これを、お前に」
 彼の手の中にある〝それ〟を見て、穹はきょとんと目を見開いた。この花は……。
「七彩虹?」
「知っているのか」
「知ってる。でも、どうして」
 そう訊ねられて幾許かの気まずさを感じてしまい、丹恒は黙然と口を引き結んでしまった。
 それを見た穹は、そっと自身の両手を差し伸べる。花束を持つ彼の右手を包みこみ、そのまま目の前の強張った面持ちに好奇の視線を向けた。
「……先月」
 ぽつり、と言葉が零れる。
「お前から、チョコレートを貰っただろう」
「うん」
「アーカイブで見たことがあるのだが、あの一ヶ月後には、答礼の品を贈る風習があるという。だから、これはお前に……」
「ふ、そっか」
 穹がくすくすと笑う。
「どうした」
「いや、毬牡丹じゃないんだな」
「……『永久不滅の愛』というものを誓うのは大仰な気がしたのだが、その方が良かったか」
 声にわずかな不安が混じっているのを感じ取り、穹は慌てて「揶揄ってごめん」と口にした。
「なんというか、そこで七彩虹を選ぶっていうのが、すごく丹恒らしいなって」
 ――なるほど「丹恒らしい」か。
 この選択に込められた自分の価値観は何だろうか? 丹恒はそんなことを考える。おそらく、明瞭な解を導くことは難しい。しかしながら、拙くても言葉にしなければならない、と思った。たとえこの想いが割り切れないものであったとしても、彼と過ごす時間は、何物にも代え難いから。
「そうだな……俺の抱いているこの感情を永遠の愛だと断言はできないのだが」
「だが?」
「その中にある『お前との日常を守りたい』という決意は、こうして誓ってもよいと思ったんだ」
「真面目だなあ」
 そう呟いて、穹が七彩虹の束をその手に取る。
「俺、丹恒のそんなところ好きだよ。ありがとう」
「……そうか」
 優しくて、誠実で、まっすぐな彼からの贈り物。綾なす花々へ慈しむように顔を寄せて、そっと、目を閉じた。
「枯れてしまうのが勿体ないから、標本にして飾ろうかな。作り方、教えてよ」
「――分かった」

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