半ば醒め、半ば酔うて
最近、丹恒が夜中に起きてどこかへ抜け出している。穹がそのことに気が付いたのは、ここ数日のことだった。
その理由は分かるようで分からない。少し前に、差出人不明の手紙が一通、彼宛に届いていた。いや……届いていた、というよりは、列車のラウンジに放置されていたのだが……。とにかく、あれが引き金だろうという事は推測できるが、それ以上のことは何も分からないという具合である。
何も言わずにどこかへ行ってしまうことを咎めるつもりは無かったが、ただ単に彼のことが心配だった。それでつい、寝たふりをしたまま夜半まで待ち伏せて。
「どこに行ってるんだ?」
と、布団を抜け出そうとする彼の腕を掴んだ。
「穹――」
やや目を見開いた丹恒と穹の視線が、ふと絡む。しかしすぐに丹恒が顔を逸らして「すまない」と零した。それを聞いた穹は「よっこいしょ」と上体を起こし、丹恒の頬をぶに、とつつく。
「知られたくないなら無理に話さなくてもいいけれど、そんなことされるとやましいことを隠されてるみたいでちょっと悲しい」
そう言って、つい、悄然とした表情を浮かべてしまった。丹恒だってあんな境遇の持ち主であれば、自分に話せないことも色々とあるだろう。一方で、〝親友〟なのにこうして距離を置かれたりよそよそしい態度をとられたりするのは寂しいという気持ちもあった。今の言葉は、穹の正直な気持ちだ。
寸刻の逡巡を経て、丹恒が重い口を開く。
「……よく、夢を見る。胸騒ぎがおさまらなくて、瞑想を」
穹は自身の記憶を辿る。瞑想といったら、おそらく時折丹恒が本来の姿で行っている〝あれ〟のことだろう。夢は……随分前に殺伐とした夢を見て怯えながら飛び起きることがあったが、それとは別の類いであるようだった。
「何か心配事でもあるのか?」
「心配事、か……杞憂なのかもしれないが」
丹恒はそう切り出して、例の手紙を皮切りに起きた一連の出来事と、それによって呼び覚まされた不安について、穹に打ち明けた。
「その槍は、まだ主を憶えておる」
自分はいつからそれを振るっていたのか憶えていないのに――。
「飲月よ、それを鍛造した者のことを憶えておるか?」
その男の顔を、夢の中で見る――撃雲を掛けた台の前に立っていて――。
「我らの中で奴と一番近かった者と言えば、お前だろう」
応星という名がふと――。
「このまま俺が全てを取り戻してしまったら、お前に抱いているこの情念はどうなってしまうのだろうかと……考えてしまうんだ。お前のことを、親友だと、俺の一部だと言った。その言葉を反故にするような未来が訪れるのではないかと、不安で仕方が無い」
そう話す丹恒を見て、穹は心がざわざわとする感覚を抱く。
それは一言では表せない、複雑な感情だった。大切な人が傷付いている様をこれ以上見たくないという気持ちが、まずひとつ。
もうひとつは、そんなことは無いと言ってやりたいけれど確信を持って発言しがたい焦燥感。
さらにひとつは、おそらく嫉妬だ。丹恒が自分以外のことに思考を支配されているという状況は大変に気に入らなかった。
そして、最後のひとつは――。
「じゃあ、前世の記憶で上書きできないくらい、俺のことだけ考えてくれよ」
「はあ……?」
彼の珍しくいじらしい姿に擽られた、嗜虐欲のような何かだ。心を焼く情炎を抑えきることは、もはや不可能で。
穹は困惑で軽く開いた丹恒の唇に自身のそれを重ねる。突然の出来事に驚いた丹恒は、一瞬きゅっと身を縮めた。が、その後は特に抵抗するでもないようである。ならばとその躰を穹が布団に沈めると、大きな枕が丹恒の頭を受け止めて、ぼふ、と空気を吐き出した。自分で仕掛けておいてなんだが、嫌がらないんだ、と、穹は意外に思った。そのまま舌を差し込んで咥内の深いところを暴くように撫でてやると、ん、と鼻にかかったような甘い息を漏らすのが聞こえる。丹恒は纏う雰囲気こそ大人っぽいが、こう見えてそこそこ幼い顔立ちをしているものだから、その分どろりと甘い背徳感が募った。そうこうしているうちに、とん、と軽く胸を叩かれたので、唇を離してやる。一瞬だけ銀の糸が短く現れ、すぐにぷつりと切れて。
「こっち見て」
「ん……」
声をかけられて、丹恒はゆるりと顔を上げた。穹の金眼をぼんやりと眺めているうちに、思考が徐々に混濁していく。その視線は蕩けるような蜜の味がしそうだが、一方で狼のような獰猛さも持ち合わせているように感じられた。
丹恒の抱く恐怖に対する穹の答えは単純だ。前世の彼と応星とかいう者といくら近い仲だったか定かではないが、今から自分たちがそれを超えてしまえばいいのである。これまでに経験していないであろう喜悦をその躰に嫌というほど刻み込んで、忘れられなくして、此方側に繋ぎ止めるのだ。
そうは言っても、くちづけを交しただけで、あんなに強靱な理性がこれほどまで溶けてしまうとは思っていなかったので、つい。
「……丹恒って意外と快楽に従順?」
「知らない……こんな我を忘れるような経験は、今まで一度も……」
なるほどね。丹恒って真面目だよな。穹は思案する。それが理不尽であれ安寧であれ、とにかく与えられたものを正面から受け止めてしまうんだろうか――未知の快感を処理できていないのかもしれない、などと。
「喜悦を刻み込んでやろう」と画策しておいて恐怖を植え付けたのでは本末転倒である。だから穹は「怖い?」と問うてみた。返ってきたのは、「いや……」という、否定のようなそうではないような、曖昧な言葉。多分、ぐちゃぐちゃになりそうな頭で何かを必死に考えようとしているのだろう。つくづく誠実な人である。
しばらく経った後、丹恒は改めて口を開いた。
「お前と過ごす時間はいつだって幸せだと思っている。だから、きっとこれも――」
「も、何?」
「……言わなくても分かるだろう……」
「嫌だ、聞きたい」
怖くはない、ということを言おうとしているのは分かったのだが、どうせならちゃんと言ってほしい。そんな欲が湧いた穹は、丹恒の耳元に顔を寄せて、煽情的にそっと囁いた。
「聞かせて」
丹恒は焚き付けられた興奮を抑えることができず、びく、と躰を震わせる。そのまま穹を抱き留めて、彼の肩に頭を埋めてしまった。そして、襲ってくる羞恥と戦いながら、消え入りそうな声で言葉を紡いで。
「っ……お前となら、きっと、気持ちいい……」
想像以上の殺し文句だ、と穹はある種の恐ろしさを感じた。よくできました――などと言おうものなら「俺は幼子ではない」と怒られそうな気がしたので、その代わりに濡羽色の柔らかな髪の毛をそっと撫でる。
「俺は幼子ではないが……」
――ダメだった。穹は抱き留められていた腕をそっとほどいて、丹恒の顔を覗く。そうして彼が不服そうな表情をしているのを捉えた。
「分かってるよ。そもそもこんなことするのは大人だけだろ」
「はあ……大人を自称するのであれば、日頃好奇心だけで行動するのも程々にしてほしいところだな」
「お、さっきはあんなにぐずぐずだったのに、なんか余裕綽々になったな」
「おい、待て――あ、っう!」
いけない、油断すると彼はいつもの落ち着きを取り戻してしまう。穹は再び丹恒の耳元に顔を寄せて、そっとキスを落とした。つつ、と唇で耳介を撫でて、柔く甘噛みして。一方の丹恒は、そうやって注がれる快楽をただただ受け入れることしかできず、ついさっきそうだったように、思考がまとまらなくなっていく。その心許なさに慣れることができず。
「やめ……っ」
思わず両腕で制止してしまった。穹が近づけていた顔を離す流れで、ふたりとも上体を起こした。
「……嫌だったか?」
――違う。決して、そのようなつもりでは。
「すまない……嫌ではないが……逃げ場を失った気がして、反射的に……」
与えられるそれに嫌悪を覚える訳ではないのだが、しかしそれは同時に、とっくに丹恒の許容量を超えていた。今までに味わったことのない矛盾した感覚に、ついていけない自分がいる。だというのに、穹はさらに追い打ちをかけてくる。丹恒を壁際に追い詰めて、迫るような格好で右腕をついた。
「確かに逃がすつもりは無いな」
そう言って顔を綻ばせる姿は、恐ろしく妖艶で。その笑みを一度見てしまったら最後、魂を奪われ、ここから抜け出せなくなるような、甘やかな心地に支配される。
「っあ、ぞくぞく、する……」
丹恒は「このまま俺が全てを取り戻してしまったら」と言ったことなどすでに忘れて、完全にその心を穹へ傾けていた。
一方穹も穹で、美しい顔を苦悶に歪める丹恒の姿を見て「もっと深みに沈めてやりたい」という欲を止められなくなっていくのを感じて。
「なあ」
「……なんだ」
「丹恒がよがってるところ、もっと見せて」
「っ――!?」
そう言って、彼の上衣をするりと捲り上げる。左手をその中に滑り込ませると、鍛えられた腹筋の硬さが指先に伝わってきた。そのまま躰のあちこちをするすると辿り、熟れた突起を人差し指の腹ですり、と擦る……が、反応が薄い。乳首はそんなにだな、と考えながら、穹は一度手を離した。
「ん、ふ……そこは……いいところなのか」
「そう思って触ったけど、開発しないと無理かも」
かいはつ、と、丹恒は鸚鵡のように繰り返す。知識豊富な〝丹恒先生〟も、性には随分と疎いらしい。そりゃそうか、持明族は恋愛こそすれ繁殖能力は無いって言ってたしな、と穹は回顧する。
「気持ちいいことしながら触るんだけど、例えば……」
そこまで言いかけたところで、丹恒がぱかっと唇を開いた。
「ん?」
「口……塞いで、くれ……」
先程「お前とならきっと気持ちいい」と言ったことで箍が外れてしまったのだろうか、いつもより遠慮が無い。
「キスが好きだった?」
「自明のことを、いちいち、聞くな……」
「ごめんって。いいよ、もういっかい」
あんまり揶揄うとへそを曲げてしまいそうだったので、穹はそう言って、先刻のように唇を重ねる。咥内をそっと撫ぜながら、一度手を離した胸の膨らみにそっと触れてみた。もぞ、と緩慢に躰が動く。痛がらない程度に少し指先へ力を込めて、ぴん、と弾いてみたら。
「ん、ふ、あっ……!」
今までに発したことが無いような、快楽に濡れた嬌声を漏らしてしまったことに驚愕し、丹恒は瞠目した。それを穹が聞き逃すはずもなく、声を聞かせてくれと言わんばかりに彼の唇を解放して、今度は白い首筋へくちづけることにした。
「っあ、ひ、ぁ……、きゅう……」
随分と悦に入った声だな、と穹はひとりひそかに笑む。ここまで甘く啼けるのならば、性器に触れても問題ないだろう、と確信を持つ。首筋と胸の膨らみを弄びながら、そのまま自身の膝で丹恒の股座に、ぐ、と圧をかけてみた。
「っあ! うう……っは……ッ!」
いちだんと上擦った丹恒の声が、資料室に響き渡る。いつ息継ぎすればいいか分からなくなっているようで、酸素が足りなさそうだ。
「……生殖能力無くてもここは気持ちいいんだな」
「ふ、あ……んんッ……!」
圧をかけた膝を、更にぐり、と押し込むと、丹恒はいっそう身を捩らせた。穹の言葉に返事をする余裕など既に残されていないのだが、絶え絶えになった声でなんとか必死に言葉を紡ぐ。
「達することもできるし……相手を孕ませることは無いが……出るものも出る……」
「へえ、今までに経験あるのか?」
「起き抜けであれば稀にあるが……自発的には……無い」
生殖能力を持たないにしても、数百年、この青年は自慰のひとつもしたことが無いときた。そんな清らかな存在を、自分が踏み仇している。人間とはどこまでも醜いもので、美しきものを穢し尽くすことに愉悦を覚える生き物らしい。それを今、穹は噛みしめていた。
「……っは、初心い割にあんな好さそうな声出してくれるんだ? 俺の方が丹恒のことしか考えられなくなりそう」
「――そうだろう、な……」
そう言って丹恒は、随分と前から鎌首をもたげている穹の欲望を、そっと人差し指の背で撫で上げる。穹とて他人の痴態を散々見せられて、何も思わぬ訳が無い。
「っ……よく見てるじゃん」
「流石に、分かる……」
穹は何も返事をせずに、ふ、と息を漏らして、二人のボトムスを下ろす。嫌だとは言われなかった。無言は肯定だと全てを都合良く解釈し、そのまま下穿きにも手を掛ける。
そうしてお互いの剥き出しになった欲望の証が、面と向かう状態になった。他人のものはおろか、自分の勃ち上がったモノすらまともに見たことがないので、丹恒はそれが無性に恥ずかしく、顔から火が出るのではないかというくらいに頬を紅潮させていた。居たたまれない気持ちになって、顔面を両手で覆おうとしたところを、ぱっと捕らえられる。
「う、あ……」
「よがってるところが見たいって言っただろ。ほら、手、首に回して」
だめだ、中途半端に抗うと、余計に追い込まれてしまう。どろどろになった思考力でも、それくらいのことは考えられるらしかった。「丹恒って意外と快楽に従順?」という穹の言葉を反芻する。本当に嫌なら彼を殴り飛ばせば全て終わるのだが、そうしないということは、つまりそういうことなのだろう。しかし、快楽であればなんでも良いわけではないはずだ。きっとこれは、と、解へ辿り着こうとしていたところに――。
「本当はここの方が気持ちいいんだけど」
穹がそう囁いて、丹恒の秘所の入り口を、つつ、となぞる。予想だにしなかったところへ触れられて、丹恒は思わずゆら、と、腰を浮かせてしまった。
「ひ……ッ」
「いきなりは触れないからまた今度な」
くすくすと笑って、穹はそっと指を離す。別に焦らしたり煽ったりしようと思ったわけではない。そもそもここは排泄の役目を担う場所なので、何の準備もせずいきなり指やら性器やらを突っ込んだときに起こる惨事なんて、容易に予想がつく。気遣いのつもりで言ったはずだったのだが、丹恒にとってはそれなりの刺激になってしまったようだ。
「……想像した?」
「い、言うなっ……」
目の前にいる青年の昂りは、先刻よりもいっそうの兆しを見せていた。どうやら「今度」を期待させてしまったらしい、なんて素直で可愛いのだろうか。
とはいえ、触れないものはどうしたって触れない。そういうわけで、今回は前で気持ちよくなろうか、と、穹はふたり分の熱をぐっと握り込む。そのままゆっくり上下に扱くと、どちらの体液によるものか分からないが、ぬちぬちと淫猥な音が立った。それに反応して、丹恒の躰が小さく跳ねる。
「ん……ッ、あっ……きゅ、う――ぐ、ッ!」
「ふ、たんこう、いい声。気持ちいい、な……っ」
穹は扱く手を早めながら、じんわりと熱を持った丹恒の唇にキスをした後、舌を深く舐って、それから耳や首筋を甘く食んだ。丹恒は今やされるがままだ。快楽の波が起こる度に、上体を弓なりに反らせながら白い喉を曝して、足の先では布団を蹴りつけている。
「あっ、ひ……ッ、穹は、気持ち……いい、か」
穹のそれに、じゅ、と、先走りが滲んだ。こんな状態になっても健気な事を言ってくるのだから、気持ちいいどころの騒ぎではない。
「そんな……可愛いこと、言われて……暴発、するところだった」
「ん、は、可愛く……ないっ……」
汗ばんだ額にはりついた丹恒の黒髪を、穹がそっと掻き上げる。彼は何が何だか分からないという様子で、快感と混乱が綯い交ぜになったような表情を浮かべていた。その様子に焚き付けられ、穹も次第に電撃のような快楽が走るのを感じて。
「なあ、俺、丹恒のこと……好き、かもしれない」
つい、勢いで、そう言ってしまった。いきなり組み敷きあれこれしておいて、今更「好きなんて言って嫌われたらどうしよう」などと考えている自分がいる。
「かもしれない、って、なんだ――そもそも、順番が……ッあ、逆、だろう……!」
ところが、返ってきたのは幻滅の意などではなく、こちらの言い方に対する説教のような何かだった。いきなり襲って、好きと言った瞬間に嫌われることを恐れ、蔑まれていないと分かったらそれを不思議に思う。思考の一貫性は完全に破綻していたが、それを自覚する余裕は穹から既に失われていた。
「そんな風に、言ってくれるってことは……丹恒も俺のこと、悪くないって思ってる? 俺、自惚れちゃうよ」
そう言われた丹恒は、先ほどの自分の思考を辿る。「本当に嫌なら彼を殴り飛ばせば全て終わるのだが、そうしないということは、つまりそういうことなのだろう」――。なるほど、これは「好き」と表現するには少し曖昧な想いで、穹が「かもしれない」と添えた意図が、なんとなく分かるような気がした。結果的に、丹恒も踏ん切りのつかない返答になる。
「っ……嫌いな奴に……こんなことは、させない……」
「……悲しいなあ、嫌いじゃなかったら、誰にでもさせるの?」
穹は納得しなかったようで、そう言いながら、扱いていた手をぴたりと止めた。自分は曖昧な物言いをしておいて、相手が同じようにしたらへそを曲げるなど、客観的に考えたら横暴にも程がある。しかしながら丹恒の理性はすでに四分五裂の状態で、それを指摘する事はかなわず、むしろこの一言をきっかけに焼け尽きてしまった。ぎゅう、と、穹の顔を自分の肩に抱き寄せ、今にも泣きそうな顔でぐずぐずと懇願する。
「あ……ッ! やめるな――違、お前だけ、穹だけ、だ……! お前を、慕っている……から、悲しむのは、よせ……」
そんな丹恒につられて、穹も自身の理性が燃え落ちるのを感じた。一度は止めた手淫を、今度はいっそう力を込めて再開する。ふたりを突き動かすのが本能のみとなった今、脇目も振らず互いを求めることに夢中となった。
「っ……! 穹、好き、だ――んッ、あ!」
「ん、俺も好き……丹恒、ふ、う……」
そうしてあられもなく快楽を貪ることに没頭するうち、高揚に追い込まれた丹恒が、縋るような声で限界の近さを口にする。
「きゅ、う……ん、あっ、我慢、できない……! 頼む――」
「いいよ……俺も、イキそう。一緒に……」
数秒の空白の後、ふたりは息が止まったように声を呑み、すぐに憚り無く悦を吐き出した。それは無遠慮にあちこちへ飛び散って、穹の手や互いの腹、そして布団を汚していく。
「ふ――うっ……」
「あっつ……」
丹恒は絶頂の余韻に浸ったまま、穹の首に回していた腕を解いて、躰をぐったりとさせてしまった。一方の穹は、さっきまでの盛り上がりがにわかに信じがたいほど、どっとした倦怠感と正気に襲われる。しかし色々な場所がぐしゃぐしゃになった状態で眠るわけにもいかないので、無理を押して起きあがり、まずはウェットティッシュの袋をひったくって布団に戻った。何はともあれ、腹と布団を拭いて、あとは服を着なければ。まずは自分の腹を拭き、布団を拭き、それから丹恒にウエットティッシュを1枚渡すと、彼はぼうっとした顔でそれを受け取った。彼が腹を拭いている最中、穹はその伏せられた睫毛を長めながら、やけに艶めかしいな、などと考える。
「よせ……じろじろと見られるとやりづらい」
「なんか綺麗だなって思って」
「そんな事は無いだろう」
「いや、そんなことある。好きな人なら頭の先から爪の先まで愛しいだろ」
「っ!?」
穹の発言に明らかな動揺を示して、丹恒が手をぴたりと止めてしまった。事実なのだから仕方が無いし、好きと言ってしまったのだから今更隠すこともしなくていいだろう。しかしながら、彼はなんとなく「本気で言っているのか」とでも言いたそうな丹恒の視線を感じたので。
「……嘘じゃないからな」
「――分かって、いる……」
「そっか」
穹は胸の奥がふわふわとする感覚を覚える。焦燥感、嫉妬、嗜虐欲――。行為に及ぼうとしたときはそれなりに黒い情動を抱えていたものの、丹恒の「お前を慕っている」の一言で今となっては全てが昇華されたような心地だった。しかしながら、それに気付いた瞬間、彼は「なんて事をしたのだろう」という気持ちに苛まれた。
数刻の間を置いて、「あのさ」と口を開く。丹恒は「なんだ」と答えた。
「初めはさ、丹恒が俺以外の誰かのことを考えて苦しんでいるのが、どうしても許せない気分になってしまって――。急にこんな事しちゃって、気を悪くしたなら、ごめん……」
今となってはなんだか色々と丸く収まっているかのような雰囲気が出ているが、冷静に考えれば、穹が身勝手な欲望で丹恒を組み敷いたのが事の始まりである。そこは甘えずに、しっかり謝っておきたいという気持ちがあった。彼も丹恒に負けず劣らず、根は真面目な少年である。
「確かに、日頃いくら奇行だらけとはいえ、今回ばかりは流石に驚いたが――俺だってそれに漬け込んで、お前に阿るような真似をしたんだ。ならば、俺だって軽蔑されるべきだろう」
「ふ、どっちもどっちってやつか」
「……お前は俺の一部だと言ったはずだ」
そうしてふたりで語らいながら、少し湿ったところを避けるように布団へ潜る。丹恒は悪夢の事など忘れて、微睡みに身を任せているようだった。穹も夢見心地の中ぼんやりと思案する。目が覚めたらシャワーを浴びて、朝ご飯を食べよう。食後のコーヒーを飲んだら、布団を洗いにランドリーへ行かなければ――。