ミクロコスモス頒暦所

餘音梟梟

「見て、ヘルタで貰ってきた」
 と、穹が手渡してきたのは、何やら淡い色の紙縒こよりだった。
「これは一体?」
「センコー花火っていうらしい。ナントカって星の玩具で、燃やすと綺麗だって教えてもらった」
 ……言いたいことが何も分からないが、見た目から察するに、手持ちの小型花火だろう。
 パッケージをひっくり返し、裏面の説明書を読んでみる。当然と言えば当然だが、屋外で水入りのバケツを用意しなければならないという。列車暮らしの身にはなかなか適切な場所が無い……と思ったが、ふと、とある案を閃いた。
「……今度、鱗淵境で使ってみるか?」
「いいなそれ。明後日、ちょうど依頼で羅浮に行くけれど」

 二日後の日暮れどき、依頼が終わった穹と合流して、ふたりで鱗淵境の海辺に赴いた。
 折りたたみのバケツを広げて海水を汲み、砂浜に置く。中身を開けると長々と解説の綴られた紙が出てきた。それによれば、火を点けると火球が生じ、その後美しく火花が散って、やがて燃え尽きていくという。それぞれに蕾・牡丹・松葉・散菊などと風流な名が付いていた。しかし、風が吹いたり手元を揺らしたりすると火球が落ちてしまうため、なるべく静かに持っていなければならないらしい。なかなかに難しい代物かもしれない。
 という話を穹にしてみると、「まあ……とりあえずやってみよう」と言われた。それはそうだ。
 彼が手に持った紙縒こよりりの先に、着火器で火を点けてやる。すると説明書き通りにじりじりと火球が大きくなっていった。が、火花が散り始めて「おお」と穹が感心して身を乗り出した瞬間、紙縒こよりりが大きく振れて、火球は砂の上にぼとりと落下し消えてしまった。
「は!? 落ちた……」
「想像以上に難しそうだな」
 丹恒もやってみなよ、と言われ、袋から一本取り出す。今度は穹がやたらと慎重な手つきで火を点けてくれた。先程と同じように震えながら火球が大きくなっていく。ここで下手に動くと終わりだ。風が吹かないことを祈りながら、指先に神経を集中させた。
 やがてぱちぱちと火花が出て、その勢いが大きくなっていく。それは打ち上げ花火のような派手さではなく、それこそ花に喩えるような美しさや儚さが感じられる類いのものだった。穹と一緒に、やがて火花の勢いが衰えて消えゆくまでを、ただひたすらに見つめていた。
「おお、上手」
「すぐ慣れるだろう、お前ももう一度やってみろ」
 穹もコツを掴むのは早いほうらしく、見事この回で先程の屈辱を晴らしてみせたのであった。甲斐甲斐しく、と表現すると奇妙であるが、とにかく健気に灯火を眺める彼の姿がどこか愛おしく感じられる。
 そうして交代で花火に挑戦していく。途中で思い出したかのように穹が端末を手に取り、その様子を写真にも収め、やがて十本ほどあった紙縒こよりりがバケツの水の中でふにゃふにゃになるまで、二人でこの美しい火花を見つめていた。
 すぐに帰る気にはなれなかったので、鱗淵境の沖をなんとなく眺めていると、ふと穹が口を開く。
「この奥にさ、持明族の一生を描いた絵みたいなのがあっただろ。あれ、思い出した」
「そうか」
「綺麗だったな」
「火花が、か」
「どっちもに決まってるだろ」
 文脈を考えると当然の返事なのだが、自分にはどうにも肯定し難い、わだかまりのようなものがあった。鱗淵境の風景が美しいことに異論は無いのだが、あの底に沈んでいる深潭幽囚獄の気配を、どうにも振り払えない。
 とはいえ、これは何の罪過も背負っていない目の前の少年にとって、何ら関係の無い話だ。

 願わくば彼がこの舟の美しい風景だけを眺めていられますように。
 そう思っていたのだ、このときは――。

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