ID:014 Adventus
――12月24日。
救い主の降誕を記念するという本来の目的はどこへやら、街はすっかり浮かれ気分に染まっている。いつか本で読んだことには、何やら他人の受肉にかこつけた歓楽を嘆く者は千年以上前から存在していたようで、自分が世間の状況に溜息をついたとて随分と今更な事らしい。
いわゆるエンターテインメント業界に属している勤め先も例外ではなくこのお祭り騒ぎに便乗しており、今日は所属アーティストたちが一堂に会するライブ公演を開催していた。新進気鋭の売れっ子たちが次々とステージへ上がり、思い思いに自身を表現する。彼ら彼女らを彩るレーザー照明に客席で光るペンライト、そして巨大なLEDビジョン。その鮮烈な輝きを引き立てる暗闇の中に溶け込んでから、どれほどの時間が経っただろうか――ふと耳元に、ノイズ混じりの音声が響く。
『丹恒さん――誘導スタンバイお願いします、どうぞ』
そろそろ彼の出番だ。
すぐ横の出入り口から通路に素早く退避し、「分かりました、どうぞ」と、短く返事をした。
楽屋の扉を開くなり、穹が珍しく緊張した面持ちで此方を見つめてくる。
「だいぶ押してるよな?」
「そうだな……」
大抵このようなケースにおいて、一人ひとりのロスは僅か数秒なのだ。しかしながら――これも千年以上前からずっと――「塵も積もれば山となる」と言われているように、彼の出番が近づくにつれ、最早見過ごせないほどの遅延となっている。
撤収が遅れると会場から延長料金を取られるし、スタッフは終電に間に合わないかもしれない。そして何より、安くないお金を払って観てくれているファンに迷惑がかかる。穹は日頃からおめでたそうな雰囲気を漂わせている割に、大事な局面でひどく理性的になる人間だった。気が付けば意識の矛先がどこに向いているのか分からない様子で、視線がぼうっと床面を彷徨いている。
「穹? 大丈夫か」
「MC飛んだらマジで終わる……」
今日のライブ公演は、まずステージ上でダンスなり歌なりのパフォーマンスを披露し、その後のMC中に次の登壇アーティストを発表する、という流れだ。つまり、万が一台本を失念してMCが止まってしまったら、控えのアーティストにまで影響が及ぶ。焦りが焦りを呼ぶ悪循環だ。
「穹」
咄嗟に、彼の両手を取った。
「MCはイヤモニに指示を出す。時間は俺が管理するから、お前が短くしようと思わなくていい」
「でも」
「確かにスケジュールは大切だ。不安なのも分かる。その気持ちはお前がファンやスタッフの事を思いやっている証だから、別に悪いことではない」
「っ――」
「だが、お前がステージにいる間、誰も時計など見ないだろう。皆が、お前のことだけを見るんだ。……だから、お前もファンの事だけを考えてくれ」
凍り付いた表情が、ふ、と、融けていくのを感じた。
「……泣きそう」
「メイクが落ちるぞ」
「そうじゃん……。というか、そもそも時間管理なんて、俺より丹恒の方が絶対上手いよな。ありがとう」
いつも通りの調子を取り戻した彼は、てへへ、と言わんばかりにはにかんで見せた。着眼点は間管理能力なのか……という小言を飲み込んで、二人で場を仕切り直す。
リハーサルで受けた指示は覚えているか、台本の要点は押さえているか、衣装小物の着け忘れは無いか、エトセトラエトセトラ。楽屋を出てからふたりで通路を歩きながら、舞台袖で前のアーティストのMCを聞きながらこっそりと、何度も何度も確認する。心配事は尽きないが、直前に彼へかける言葉はいつだって――。
「俺がいるから安心しろ」
舞台に上がった穹――Caelus――は、瀟洒な旋律に乗って、軽やかにステップを踏み始める。照明やペンライトが金色に染まり、会場が一瞬で満天の星々に変貌した。砂子のように煌めく無数の光を浴びて、彼は超然と舞う。それは時に燃え上がる彗星であり、時に淡く儚げな星雲であり、時に昂然たる不動の極星である。
ただひたすら、美しい眺めだった。
「ダンスがやりたい」
ライブの出演が決まってすぐにそう言い出した彼は、クリスマスソングでジャズダンスを披露するステージを自分で企画した。日頃あどけない振る舞いで人気を集めている分、時折見せる大人びた一面がファンに与える衝撃は凄まじいようだ。本人曰く「ギャップ萌え」なるものを狙っているという。
確かに……四肢の繊細な表現や、整った顔立ちから向けられる流し目に、名状しがたい感情を掻き立てられた……などと、本人には口が裂けても言えないのだが。
しかしMCが始まってみると彼はいつもの可愛らしさ全開モードに戻っており、此方の指示が無ければ延々とファンたちの笑いを誘っていたであろう奇行の数々で会場を賑わし、惜しまれつつステージを降りたのであった。
「5分巻いてる!?」
舞台袖で時計を見た穹が、目を点にして、囁き声で叫んだ。囁き声で叫ぶとは一体どういうことだろうと自問自答したが、そうとしか形容できなかった。
「全然そんな感じしなかった。流石だな、丹恒」
「役に立てたなら何よりだ」
褒められるのは有り難いが、これで生計を立てているのだから、「殊更持ち上げられるような事はしていない」という感情も強かった。穹のやりたいことを支え守るために求められるもの全てをこなす、それが自分の仕事なのだ。
「今日も頑張ったな。とりあえず楽屋に戻ろう」
「あとでSNS用の写真撮っていい?」
「……顔は写すなよ」
「分かってるって」