The proof is in the petting.
依頼終わりのくたくたな身体を引き摺って「ただいま」と資料室の扉を何気なく開ける。寝る前に声だけかけてすぐ退散するつもりでいたが、そこには珍しい光景が広がっていて、思わず目が釘付けになった。
「うわ、どうしたんだ」
理由は全く定かで無いが、丹恒が飲月君の姿で椅子に座っていた、のである。さらさらの黒髪、玻璃を思わせる透き通った目、泡沫のように儚げな雰囲気。それはなんと言うべきか、あまりにもうつくしくて、ちょっとだけ緊張してみる。
「穹か、おかえり。何かあった訳ではないんだ。単に、肩の力を抜きたいと思って」
「あ……成程」
それはそうだよな。俺たちにとってはあのショートヘアでキリッとした青年が丹恒だけれど、丹恒からしたら多分こっちが本当の自分の姿だ。見た目を変えたまま生活するのにもそれなりに心身を消耗するのだろうし、たまにはこういう時間が必要なのかもしれない。
「驚かせたならすまない」
彼はそう言って立ち上がり、ふわふわと水を纏いかける。いつもの姿に戻るのだろうか、いやでも「肩の力を抜きたい」って言っていたから。
「いや、いいよ。丹恒が嫌じゃないなら、俺の前でもたまには楽にしてたら」
と、言ってみた。仲間をびっくりさせたくないとか、「調子が悪いのか」と気遣われるのは申し訳ないとか、そういった考えがあるんだろうけれど……自分に対して負い目を感じるのは無しだと嬉しい、と思ったのだ。
「そうか」
浮かんでいた水をどこかへ消した丹恒は、ふっと穏やかに――じっと見つめていないと分からないほどだったが――微笑んで、静かに腰を下ろした。あの水、どこ行ったんだろう。何はともあれ、此方の願いは受け入れられたようだった。
それはそうとして、戦闘時でないときにこの姿を拝めるなんて、結構貴重な機会かもしれない。悪い癖だなと思いつつ、心の中でふと好奇心が芽生えてしまう。荷物を部屋の隅にぽんと置いて、彼の元へ近寄った。
「ずっと気になってたんだけどさ、丹恒の角ってどんな感覚なんだ? 硬い? やっぱり冷たい?」
いつもより髪が長くなった頭をぐるりと見回しながら尋ねる。この透き通っていて、宝玉みたいな、つやつや、ぴかぴかの――。気になってはいたのだが、面と向かって聞けるタイミングが無かったので、ずっとほったらかしにしていた疑問だ。
「これか。まあ、硬いな。温度については……水が通っているから、生物の角としては、冷たい部類だろうと思う」
丹恒はそう答えてくれた。とは言うものの、百聞は一見に如かずだし、おそらく実際に試してみるのは一見に勝る。なので。
「触ってみたい」
とお伺いを立ててみたところ、少し困ったような表情をされてしまった。やはり触るのはダメだっただろうか。いや、でも気になるものは気になる。ここは開拓者として譲れないのだ。
丹恒が身内に甘いことは知っている。ええい、ここは情に訴えてやれ。甘えた表情でもう一度お願いをしてみようではないか。
「――だめか?」
必殺、上目遣い。これで無理なら諦めようと思っていたところに。
「……構わないが……」
作戦成功! 何事もやってみるもんだ! と喜びに胸を躍らせていると、丹恒が「しかし」と続けた。
「生物学上、爪や髪というよりは、歯牙に近い構造をしている。神経が走っているから、乱暴に扱うのは控えてほしい」
――彼は自分のことを何だと思っているのだろうか、流石に力任せな真似はしない。
じゃあ失礼します、と、まずは金装飾みたいな紋様が施された根元を指先でさすってみる。やはりと言うべきだろうか、見た目通りつるつるとした触感だった。あとは……確かに硬いし冷やっこい。それにしても、ぱっと見は透明なのに、ここに神経が通っているとは俄に信じがたかった。持明族の身体の神秘ってやつか?
そこから指の腹でつつ、と分かれ目を辿り、先端を掌で包んでその丸みを撫でてみる。それは生命体のいち器官なので確実に有機物のはずなのだが、なんだか氷や硝子のような無機物を触っているような不思議な感覚がした。もういちど根元を指の背で、すり、となぞる。すると、丹恒の身体がぴくり、と縮むのを感じた。
ごめん、力入れすぎたか――と声をかけようとして彼の顔を覗き見ると、どういうわけか耳の先まで真っ赤にして、きゅっと真一文字に口を結んでいる。少々、ぎょっとした。まさか、痛いのをずっと我慢している?
「えっ、丹恒、ごめん。痛いならもっと早く――」
「違う……」
咄嗟に出た謝罪の言葉は、彼の否で遮られた。
「違うんだ、俺が軽率だった。その、先程、これは歯牙に近い構造だと説明したが……思った以上に、敏感な部分らしい」
「へっ?」
「自分で触れる分には何とも思わないのに、お前に触れられると、どうにもむず痒い。痛くはないのだが……」
「止めてくれればよかったのに。痛くなくても痒いなら、どちらにせよ良い気分じゃないだろ」
と、言ってみたのだが、それきり彼は何か言いたげな顔のまま押し黙ってしまった。真意をいまいち掴みかねるが、決して不快感を与えたい訳ではないので、最後に「ごめんな、触らせてくれてありがと」と言って角の根元に口付けをしたところ――。
「ひ、ぁあ……!」
――えっ。
「っ……」
やたら煽情的な悲鳴の発生源を見下ろすと、声の主は口を両手で覆い、唖然とした表情で冷や汗をかいていた。おっと、さっきから歯切れが悪かったのは、つまり〝そういうこと〟か? 疲労困憊なはずの身体の芯に、ぼうっと火の点いたような心地がする。あーあ、今日は自分の部屋でぐっすり寝ようと思っていたのに。
「まさか、むず痒いなんて可愛い言葉で誤魔化そうとしてたのか?」
丹恒は何やら難しい言葉で煙に巻こうとしていたようだが、有り体に言えば、あまりにも敏感すぎて快楽を拾ってしまうということだろう。そうと分かれば話は早い。さっきより弱い力で、焦れったく角の先に触れながら、いたずらっぽく問いかけてみた。
「待っ、穹……っ、あ」
「――で、本当にこのまま止めにして良いのか? 俺がおねだりして触らせてもらったんだから、今なら丹恒がおねだりしてもイーブンだけど」
「馬鹿を、言う、な……!」